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よくわかる
パチスロ講座

1■パチスロの歴史 
 前編「0から2号機」

ここでは、パチスロが登場してから現在までを振り返ってみましょう。初めての方はちょっと難しい言葉が出てきますが最後まで読んでみてください。

 
< パチスロの歴史>

 パチスロはパチンコに比べ歴史が浅い。初めて登場したのが1970年代といわれている。その頃は何の規制も無く、各店舗がそれぞれに仕入れた機械を設置していた。これが、昭和60年の「新風俗営業法」によって、「回胴式遊戯機」(かいどうしきゆうぎき)として規制の対象となった。
 昭和57年に警察庁の管轄下に「保安電子通信技術協会」(保通協)が設立され、遊技機の検定機関となった。ここで検定を通過しないと機械の販売・設置が出来ない仕組みとなる。
 同年、この検査に合格し、認定を受けた機種が1号機としてデビューした。2004年現在、1号機は30年の時を経て4.5号機へと進化し、営業されている。同2004年7月から法体系が改正され、パチスロ業界は5号機時代へと移行する。以下に0号機から4号機までの推移と代表機種を見てみよう。
 
 

<0号機時代>
 昭和60年の「新風俗営業法」以前の機種を指して便宜上「0号機」という。まだパチスロとして現在の形態に整備されていない頃の事だ。この頃の機種は、今よりも大型で、目押しをすると狙った絵柄を揃えられるという凄い仕様だった。メーカーは現在のパチスロシーンのメンバーがほとんどで、オリンピア・ユニバーサル販売(現アルゼ)・高砂電器(現アビリット)・サミー・北電子・バルテックなどが機種を発表している。
代表機種 /オリンピアスター・ジャックポット・カーニバル・アメリカーナ・トロピカーナ・パルサー・ジェミニ・セブンターゲット など。
 


 
< 1号機時代>

 昭和60年の「新風俗営業法」以降の機種を指す。
1号機は、改造基盤を取り付け、「連荘」や「前兆」などのパターンを豊富に持つ機種が登場し、プレイヤーの攻略心に火を付けた。しかし、改造基盤が溢れ過度の連荘を引き起こし、射幸心を必要以上にあおってしまったため、改造防止対策として1.5号機へと推移した。1.5号機は「日本電動式遊技機工業協同組合」(日電協)のROMに統一し、基盤を封印する事で不正に対抗するというものだった。ゲーム性的には、投入枚数によってボーナスを成立させる「吸い込み方式」をとっているものが多い。現在でも設置されている店舗がある「ニューペガサス」(パル工業)などはその代表例だ。まだ目押しなどが出来ない客が多かったせいもあり、攻略プロたちはかなりの稼ぎをあげたと聞く。また、現在4号機でリメイクされた機種の原型が多い事にも気がつく。「スーパースターダスト」(オリンピア)や、「ネオプラネット」(山佐)「ニューパルサー」(山佐)の原型も1号機だ。それだけこの時代の機種は鮮明に記憶に残っているのだろう。
 
代表機種 /ニューペガサス・トロピカーナ7・プラネット・パルサーXX・デートライン21・スターダスト・ワンダーセブン・ など。

 

 
<2号機時代>

 1号機以降、大幅な規則改正が行われたのが、この2号機だ。変更点は
●A/B/Cタイプの3つのゲーム性が定義された。(4号機現在もこの分類)
●1メーカー2機種まで
●1ゲーム間が4秒以上あること
●BIGの純増枚数は350枚にすること
●ボーナスは吸い込みでなく、完全確率方式にすること
●クレジット装置の搭載許可
 
 これが現在のパチスロの基本を作ったといっても過言ではない。また、2号機から集中役というものが登場し、フルーツやSINの集中で一撃数1000枚overもあり得た事から大人気となった。4号機でも大ヒットした「アラジンA」(サミー)のアラジンチャンスは2号機「アラジン」に搭載されていたものだ。
 
代表機種 /スーパーバニーカール・サファリラリー・アニマル・アラジン・アストロライナー・ベンハー・リバティーベル・デートライン銀河 など。





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